会計専門学校生の青春

会計や経済、社会について一言語ります。

第2回 日々徒然追記

日々徒然追記

コメント欄を読んでいて、僕が書いた真意が伝わっていない不安に襲われたので、やや、論理的な文章を追記しておこう。

GaS先生の才能は、心理学で言うところの嗜癖と呼ばれるものが、昇華(心理学用語:防衛規制を参照してください。)された結果ではないだろうかとぼくは感じている。
何故、そのように感じるのかと言うと、ぼく自身が、強度に嗜癖的傾向を持っているからだ。

嗜癖には、

物質嗜癖(アルコール依存等)
過程嗜癖(ギャンブル依存等)

があり、仕事中毒などは典型的な過程嗜癖である。GaS先生の漫画には仕事をしていないとイライラしてくる描写がでてくるが、あれなどは過程嗜癖の禁断症状のように感じる。ギャンブルをしていないとイライラしてくるのも、煙草を吸っていないとイライラしてくるのも、仕事をしていないとイライラしてくるのも基本的には同じ心理である。

嗜癖行動は、無力感や空虚感を持っている人が、その不快感から逃れるために、
取り入れた行動で、誰でも持っているものなのだが、あまりにもひどい場合はもちろん、治療の対象になる。

ぼくが、GaS先生の漫画を読んでいて驚くのは、その技術の高さと生産量なのだが、これもGaS先生が描かずにはいられない人だったら、あり得ることだなあと思っている。

で、嗜癖的行動のベースになっている無力感、空虚感は、実は誰でも持っているものなのだが、普段は意識されない。意識するのは辛過ぎる感情なので、無意識の部分に抑圧されているのだ。

それを意識させられそうになったとき、人はモヤモヤとした嫌な感情が沸き起こってきて、その嫌な気持ちを忘れるために人は嗜癖的行動に誘導される。
病的なギャンブルや、過度な飲酒と基本的に同じものだが、あまり害がないものとして、ぼくはプチプチもそれにあたると思っている。そう、あれも嗜癖的行動の一種なのである。

そのような解釈が正しければ、GaS先生の創作行為は治療と創造を一緒にやっているようなもので、GaS先生の人生にとって、漫画を描くというのは、素晴らしいことに違いない。

ただし、そのように解釈した場合、当然、読者側にも何らかの心理的なメリットがあるはずで、それは何なのかをずっと考えていたのだ。

そして、ぼくが得た結論は以下のものである。

GaS先生の読者も、GaS先生と同じ、無力感、空虚感を持っている。そして、GaS先生の漫画を読むと読者は一瞬、不安な感情を持つ。不安な感情には人々は長くいるのは、耐えられないので、居心地のいい感情に着地させなくてはならない。このような感情の誘導は、もちろん、漫画家さんだったら、無意識にみんなやってる技術であり、そのあと、どこに落とし込むかと言うのが、漫画家さんの腕の見せ所である。この後にハレの感情に誘導するパターンが多いと思うが、GaS先生は、プチプチ感に誘導するのである。これが恐らく、GaS先生の漫画の中毒性の原因である。

これが、成功している要因の一つは、日々徒然がWeb上の作品であるというのも大きいかもしれない。Webで掲載されている作品を紙に打ち出して読んでみると、別の作品かと思うほど、印象が異なることがあるが、その理由のひとつが
Webは没入感が紙より強い。この没入感と中毒性は、非常に親和的である。

なので、GaS先生の漫画は、読者に原因と解毒を一度に与えるようなある意味、チートと言える構造になっており、それを可能にしているのが、GaS先生のクレバーさなのだろうなと考えている。

後藤健二先生の漫画を分析する際は、保守思想のベースになっているものは何かを考え、構造的なものを抽出してみたが、GaS先生の漫画は、漠然と面白いために構造的なものがなかなか抽出できなかったために、聞きかじりの心理学の知識を使って、その面白さの正体に接近してみた。

ただし、これは、ぼくが治療が必要な程、強度な嗜癖的傾向を持っているから、そのような読み方をするのであり、読者の数だけその読み方があることは、念のために付け加えておく。