会計専門学校生の青春

会計や経済、社会について一言語ります。

新都社漫画評論・第1回 本当にあった後藤健二の話(21世紀のスポ根漫画)

今後、ちょくちょくとWEB漫画の評論をこのブログで書いておこうと思う。

WEB漫画というジャンルもだいぶ定着し、作品も蓄積されてきているが、本格的な評論となるとまだまだという印象を持っている。あるジャンルが蓄積されて発展していく過程で、評論が果たす役割は決して小さくないはずだ。商業漫画の評論は数多くあるが、WEB漫画、しかも非商業系漫画のそれは、あまり読んだことがないと思う。だったら、この俺様がそれを書いてやろうじゃないかと言うのが、評論を始めようと思った動機である。

 

で、まず、評論の基本方針として、自分が褒めようと思う漫画以外は取り上げないようにした。

これは、当然で、ぼく自身が漫画を描いているので、ぼくが他の作家を批判したら、批判の応酬になってしまうのは明らかだからである。

それと、評論する以上はちゃんと読んで、分析的な視点で論評するようにした。これは評論する対象の作者、そして作品に対する最低限の礼儀だと思ってる。

 

で、最初の作品は後藤健二先生の漫画を選ばせていただいた。理由は2点ある。一点目はぼくが今現在、実録系の漫画を描いているために、非常に参考にさせていただいているということ。二点目は、ぼくの目から見て後藤健二先生の漫画は面白いからだ。ぼくが新都社の漫画の中で一番読んでいるのが、この漫画だし、一番更新を楽しみにしているのも後藤健二先生のこの実録漫画なのである。

ただし、この漫画の何が面白いのかとなるとなかなか説明が難しい。実際にぼくは、その解答を得るのに、1カ月以上かけて分析している。そのくらい何回も何回も繰り返して読んでいる。

 

何故、何が面白いのかわからないのに、面白いと思うのか?

この謎の印象を与えるのは以下の点が原因だと思う。

後藤先生の漫画は、作者の波乱万丈すぎる人生が面白いのか、漫画そのものが面白いのかよくわからないから。一般の読者は多分、後藤先生の実人生の凄さに圧倒されるのではないか?

ぼくも、実は最初はそうに思ったのだが、よくよく検証した結果、やはり漫画として面白いと言う結論に到達した。

まず、後藤健二先生の漫画を以下の点について検証してみよう。

 

① 絵の特徴。ストーリ構成。

後藤先生の漫画はわかりやすいと思う。

絵やコマワリ等がシンプルなので、複雑な対人関係や感情の機微等を表現するのには向いていないのだが、逆に時系列に事実関係を把握させるのには向いている。

これは、恐らく、言葉で、漫画のストーリーを構成している結果ではないか?

結果的に読者は、共感すると言うより、観察するという立場で、後藤先生の漫画を読むことになる。

営業トークなども、実はこんな感じではないかと思ったりした。

 

次に、後藤健二先生の漫画が、何故、面白いのか分析してみよう。


② 本当にあった後藤健二の話は21世紀のスポーツ根性漫画である。

後藤先生は、ぼくの目から見て、一見、まともそうな人に見える。そのまともそうな人が、就職先に先物会社を選んでしまったり、起業して風俗店の経営者になってしまったりするのは、一体、どうしてなんだろう?

ぼくはこの原因をさぐるために漫画から後藤先生の対人関係の特徴を抽出した。これは、後藤先生自身が気付いていない後藤先生の一側面かもしれない。

 

●後藤先生の対人関係の特徴

  同性間の関係はかなり縦社会

(よりきつい言い方をすると搾取的関係)

 

 異性は以下の3種類にわかれる。

① 聖母系(鈴木主任、佐藤さん)

② ビッチ系(岡崎さん、ミカ、風俗のプロのお姉さん達)

③ それ以外(後藤先生が性的な対象外としている女性達)

 

これ、何かに似てないだろうか?そう中学くらいの体育会の人間関係、もしくはDQN集団の人間関係に・・。これは実はスポーツ根性ものなども同じ構造を持っており、物語における、女性の位置づけも多分似ている。

日本の家族集団を構成している価値観そのものだ。

根底にあるのは、儒教道徳だ。 

後藤先生は儒教道徳と非常に親和性が高い方であり、描くと自然にそのようなマンガが描けるのだと思う。で、これは日本人の根底に存在している価値観なので、読者は、葛藤せずにこの漫画を面白がることができるのである。

なので、実は物語の裏に鉄板と言えるような強固な構造があり、これがこの漫画がすらすら読める理由だと思う。内容がエグイ割に読後にえぐさを感じないのも、後藤先生の行動が儒教道徳から逸脱しないからだ。例えば聖母系の女性達を風俗に追い込んだりはしない。ヤンキーマンガの聖母系ヒロインは、自分達の母親を無意識に理想化したものなのでこれは当然のことだ。ちなみに現実のDQN集団は、話によると、①の聖母系のヒロインの命令により、 いじめられっ子の女性達(ここで言えば②のビッチ系)が輪姦されるようなひどい世界だと聞いたことがある。より具体的に言えば、角田美代子ファミリー。あれが、DQN集団の本質である。このように儒教社会も、極北と言える状況になるとブラック化する。

そして、この特徴的な対人関係に対する親和性の高さが、例えば、先物業界や風俗業界等、同質の対人関係を必要とする集団に対して適応的に働いているのではないか?類似の集団は、ブラック企業、体育会、美容師、DQN集団などなど。これが、恐らく、後藤健二先生が、ブラック企業に遭遇しやすい、もしくは所属した集団がブラック化しやすい理由のように思える。


後藤健二先生は素のスペックが高い。  

甘く見てはいけない。後藤先生はハイスペック人間である。そして駄目人間の真逆の人である。

過酷なブラック企業を生き抜いて、今現在、風俗店の経営者をやっている。これ自体、極めて、困難な生き筋であると思うのだが、やりぬいている。これは文句なくすごいと思う。そして、ぼくがそれ以上にすごいと思うのは、②で指摘した、かなり特徴的であると思われる対人関係を周囲と構築できるエネルギーを後藤先生が持っていることだ。多分、これは素のスペックが高いから可能なのである。ただし、後藤先生の今の生き筋が後藤先生にとって生きやすいものかどうかはわからない。異なる価値観に触れてみるとより、生き筋が広がるかも知れない。

 

④ では、後藤先生はどこに向かおうとしているの?

これは、実はぼくが一番、解明に苦しんだ部分である。

ブラック会社の従業員達が、過酷であるにもかかわらず、何故、そこで働くことに(無意識に)喜びを見出そうとするのか、というのと同じ問題である。

 

ぼくが得た解答は、これである。

(スポ根漫画を美化せずに表現すると多分、こうなる。)

 

ブラック会社の従業員達は搾取的な人間関係において、被搾取的な立場から搾取的な立場に成り上がることを目標にしている。そのために被搾取者の立場にいるときは搾取者の行動パターンをひたすら学習し続ける。彼らは、マゾだから自分追い込んで成長させたいと考えているわけではない。搾取のパターンを学習するという極めて功利的な動機でそれをやっているのである。もちろん、搾取のパターンは恫喝や暴力だけではない。ここには、懐柔や泣き落しも含まれるだろう。』

 

さて、後藤先生の場合はどうなのだろう?

 

⑤ おわりに

以上、あくまでもぼくの私見であるが、「本当にあった後藤健二の話」を論評させていただいた。最後の感想としては実録系はやはり面白いということである。ぼくは後藤先生の作品をもっともっと読みたいし、あれこれ考えてみたいと思ってる。なので、一ファンとして長く長く連載を続けて欲しいと切に願ってる。